ガチャガチャの歴史学 ガチャガチャの進化
昭和40年、1965年から令和まで続くガチャガチャの進化の軌跡を振り返ってみたいと思います。
ガチャガチャが1965年アメリカから導入されてから61年目になります。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
ガチャガチャの名前のルーツとは?

オーク社製初期マシン
ガチャガチャの正式名称は「カプセル自動販売機」ですが、かつてアメリカから導入された初期は Bulk vendor(バルクベンダー=ばら売り自販機)などと呼ばれていました。
当初はピーナッツやガムなどを販売する機器(ガムボールマシン等)がメインであり、それが次第にカプセルにおもちゃを入れる形へと進化していきます。日本において「ガチャガチャ」という言葉が定着したのは、ハンドルを回す時の「ガチャ♪ガチャ」という手応えの音を、子どもたちが感覚的に呼び始めたことが大きなきっかけとされています。
ガチャガチャの価格の進化

10円で世界の玩具を集めよう!
非常に興味深いのが、価格帯とカプセルの進化の歴史です。
10円時代(1965年代〜)
初期の10円カプセルは、ポリエチレン製の透明・色つきキャップを組み合わせた2センチほどのカプセルで、中身には「世界の玩具を集めよう」というキャッチフレーズで香港製の小さいおもちゃなどが入り、子どもたちの心を掴みました。

カプセル
オイルショックと100円時代の幕開け(1970年代後半)
1970年代後半には大手玩具メーカーの参入やキャラクターライセンス商品の展開により、それまでの10円・20円中心から一気に100円機への移行が進みました。バンダイが1977年に100円でスタートし、1983年のキンケシの爆発的ヒットによりガチャガチャビジネスを構築していきます。現在のビジネススキーームはバンダイによりこの時代に作られました。

バンダイ機カタログ
台紙POPの工夫
バンダイが参入するまでは台紙へ本物の商品を貼り付け、ビニール真空パックディスプレイなど、子供たちの購買意欲をそそるためのメーカー各社の工夫も1970年前後に広がっていきます。1977年代以降はビニール真空パックディスプレイは徐々になくなり、POPはキャラクターがメインに扱われるようになっていきます。

シュリンクPOP
駄菓子屋の前のガチャガチャマシンから設置場所の変遷
かつてガチャガチャの、メインの販売する場所は「駄菓子屋の店頭」や「文房具店の前」でした。
子どもたちにとって、駄菓子屋の前に置かれたガチャガチャマシンは、放課後の「聖地」であり、小銭を握りしめて向かう最高のエンターテインメント空間だったのです。
時代が進むにつれ、設置場所は以下のように広がっていきました。
初期: 駄菓子屋、文房具店、個人商店の軒先 等

玩具店
発展期: スーパーのエスカレーター脇、スーパーの出入り口 踊り場 等

スーパー前
拡大期: 電気専門店、郊外大型店、寿司専門店 ヴィレヴァン ツタヤ 等

ツタヤ
そして現代では、駅構内や空港、、、大型ショッピングモールを埋め尽くす「ガチャガチャ専門店」へと進化を遂げていますが、その原点は「子どもの目線に合わせた等身大のワクワク感」がありました。 ガチャガチャに対するノスタルジー、郷愁感が、日本人の心に染みついていると思うのです。

ガチャガチャ専門店
昔の「アタリ・ハズレ」にドキドキした記憶や、あのカプセルが開いた瞬間の匂い!そうしたノスタルジーと歴史的背景を大切にしながら、これからもガチャガチャの魅力を発信・研究していきます!!!
んじゃまた!!!
©日本ガチャガチャ協会


