ガチャガチャの歴史と南里貿易から始まる系譜

語り継ぐガチャガチャの歴史:南里貿易から始まったガチャガチャの系譜

ガチャガチャが、現在のような一大文化・巨大市場へと発展した背景には、数多くの先駆者たちが築き上げた熱い歴史と複雑な人脈のドラマが存在します。
今回は、業界の草創期を知る重鎮との対話から明らかになった、日本におけるガチャガチャの原点「南里貿易」とその周辺をめぐる歴史的系譜についてのレポートをお届けします。

ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。

玩具歴史年表

ガチャガチャの原点「南里貿易」と輸出業からの出発

日本のガチャガチャビジネスの源流を遡ると、1960年代頃の「南里貿易」に辿り着きます。
● 南里貿易は、昭和30〜40年代にかけて、ウエルダー加工された小物や雑貨、トランプなどのカプセル用中身(インナーグッズ)をアメリカや南米、オーストラリアなどへ大量に輸出して   いた輸出業者でした。1年間で1万グロス(約144万個)規模の出荷を行うほどの取引規模を誇っていました。

●共栄産業の関わりは昭和7年創業・蔵前に店を構えていた「共栄産業」なども、南里貿易に対してお土産雑貨やカプセル向けの中身商品を卸し、輸出業を支えていました。

南里貿易からの枝分かれと主要メーカーの誕生

ガチャガチャ黎明期

やがて南里貿易の経営変化や銀行管理化などをきっかけに、そこに在籍していたキーパーソンたちが独立・派生し、日本のガチャガチャ業界の基盤を形成していきます。

【南里貿易】
├─ 広瀬氏 ──→ 日商貿易(スーパーボール輸出やマシン展開)
├─ 重田龍三氏・井沢氏 ──→ パン・アメリカン貿易 ──→ ペニー商会(10円機・国内展開)
└─(関連・派生)──→ パック ──→ ビーム花岡氏

 

日商貿易は 南里貿易にいた広瀬氏が立ち上げた会社。アメリカの「ノースウェスタン(Northwestern)」製マシンを導入・展開し、日本国内での自動販売機ビジネスのパイオニアの一つとなりました。また、国内で製造したスーパーボールをアメリカへ大量輸出して大きな成功を収めました。
パン・アメリカン貿易〜ペニイ商会は、重田龍三氏や井沢氏らが中心となって設立。その後、重田氏らは「ペニイ商会」を設立し、10円カプセル自販機の国内本格展開や「オーク(Oak)」製マシンの活用を進めていきました。
パック〜ビームは、花岡氏らが関わった「パック」という会社が前身となり、のちの「ビーム」などの供給網へとつながっていきました。

国内メーカーの参入と「10円・20円から100円時代」への変遷

ガチャガチャの機械や商品が高価格化・高度化していく中で、異業種や大手メーカーの参入が相次ぎました。
コスモス(堀口商会)は、 当初は日商貿易からマシンを購入してスタートした堀口商会が「コスモス」を立ち上げ、自社専用マシン(20円機・50円機等)を開発して全国網を構築していきました。

赤いゲリラコスモス

バンダイの参入(1977年)と「アップル」は、 バンダイがカプセルトイ事業に参入する際、オペレーターノウハウやマシン製造で提携したのが「アップル(旧・日米自動販売機)」でした。バンダイは自社キャラクター(ウルトラマンやキン肉マン等)の強みを活かし、100円カプセル市場を劇的に拡大させました。

BVM100

チャミー工業(桑田氏)はフィギュア製造を進化させバンダイ向けに精巧な塩ビ人形(消しゴム・フィギュア)の金型・成形を手掛け、のちの「キンケシ」や「SDガンダム」といった爆発的ブームの製造面を陰で支えました。

ガチャガチャ業界を支えた「情熱とロマン」

当時の業界人たちが口を揃えて語るモノづくりへの情熱とワクワク感です。
「子供たちを喜ばせたい」「面白い仕掛けを作りたい」という純粋な発想から、数々のヒット商品やアイデアギミックが生み出されました。単なるビジネスを超えた熱量があったからこそ、数々の困難や変遷を乗り越え、現在の巨大なガチャガチャ市場・文化へと花開いたことがよく分かります。

日本ガチャガチャ協会では、歴史の証言を記録・保存し、次の世代へと語り継いでいくことで更にガチャガチャ市場を文化を拡大できていければと思っています。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
んじゃまた!!!
©日本ガチャガチャ協会

 

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