1952年12月6日アメリカにおけるガチャガチャ文化の歴史的背景 

日本のガチャガチャ業界では、空前のめじるしチャームになっています。開店前からガチャガチャ専門店に並ぶお客さん達で今までにない光景をみかけます。

90年前にも世界最大のメーカー「ペニー・キング社」の最新チャームが発売され大ヒットします。

ペニーキング チャーム広告

  • メッキ仕上げ・シルバー加工(Plating Silver Tipped)

  • 写真が入るロケットペンダント(Photo Locket)

  • 写真が入る指輪(Photo Ring)

アメリカのガムボール&チャーム(玩具)ブームの黎明期から、「日本製(Made in Japan)」チャームが果たした歴史的役割までがよくわかる大変貴重な資料からガチャガチャ文化の背景を紐解きます。

ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。

はじまりは1936年のお菓子のおまけから

「ペニー・キング社(Penny King Company)」の代表であるレス・O・ハードマン(Les O. Hardman)氏が最初にチャーム(小さなおもちゃ・景品)に着目したのは、今から遡ること1936年のことでした。
当時、彼が手掛けていた「ボストン・ベイクド・ビーンズ(砂糖がけピーナッツ菓子)」などのカウンター売り小粒キャンディに、おまけとしてチャームを入れ始めたのがきっかけです。その新しさと珍しさが受け、チャームはお菓子の売上を大きく伸ばす「爆発的ヒットの原動力」となりました。

「第一次チャームブーム」の終焉と「日本製」の課題

1930年代ガチャ

1930年代ガチャ

しかし、1936年頃から始まった最初のチャームブームも、1938年までには衰退の兆しを見せ始めます。その最大の原因は、「どれも似たり寄ったりのデザインばかりになったこと」でした。
当時、日本(Japan)から輸入されていた初期のチャームは、現在でいう「数合わせのチープな在庫」のようなものでした。精巧な動きのある仕掛け玩具やジュエリーシリーズ、高級感あるプレミアム景品とは程遠いものだったのです。

ガムボールマシンとの出会いと自販機ビジネスへの参入

大きな転機が訪れたのは1945年。チャームがガムボール自販機(ガムボールベンダー)の中に投入され始めると、ハードマン氏はそこに「新たな時代の巨大なトレンド」を予感し、自ら自販機オペレーター(設置・運営事業)としての道を歩み始めました。
しかし、事業を本格化させるとすぐに問題が持ち上がります。

自社製造への踏み切りと「一時的な流行」説の否定

ペニーキング チャーム

当時、アメリカ国内の自販機市場にチャームを供給していたメーカーはわずか2社しかなく、市場の爆発的な需要を満たすことができていませんでした。そこでハードマン氏は、自社の自販機に常に十分な在庫を補充できるよう、自社でチャームの製造を開始したのです。
およそ7年前、多くのオペレーター(業者)はガムボールにチャームを混ぜて売る手法について「どうせ一時の流行(一発屋)で、長続きはしないだろう」と見ていました。
しかし、ハードマン氏の考えは違いました。チャームの普及が進み、種類や品質が向上すれば、人気が落ちるどころか需要はますます増大すると確信していたのです。彼はこの見通しに基づいて、自社の生産体制と将来の事業戦略を組み立てました。

機械の進化がもたらしたガチャガチャの飛躍的進展

ビクター社製

チャーム普及のもう一つの障害は「自動販売機そのもの」でした。当時チャームに対応できるマシンは市場に1〜2種類しかなく、ボールガムとチャームを混ぜて販売すると、払い出しプレートの詰まり(ジャミング)を100%防ぐことができませんでした。
状況が一変したのは1947年頃です。大手自販機メーカーたちが、ボールガム&チャーム専用のマシンを開発し始めました。それまでメーカー側も「チャームなんて一時の気まぐれだ」と開発投資を渋っていたのです。
「チャーム自体の品質向上」と「専用マシンの登場」というダブルの進化により、ハードマン氏の自販機事業とチャームビジネスは息を吹き返し、飛躍的な成長を遂げることになります。

15,000台の巨大ネットワークとヒット商品

ハードマン氏のガム&チャーム自販機は約15,000台に達し、カナダ市場でも毎週のように過去最高の売上を更新しています。
また、ペニー・キング社は業界でも珍しい特許取得済みのデザインを保持しています。その代表格である「2ピース構造の弾丸(バレット)チャーム」は、自販機で大ヒットしただけでなく一般の玩具市場でも引っ張りだことなり、特許出願が行われました。

再び「日本」へ——鏡付きコンパスの成功

コンパス 

裏面が鏡

自社製造だけでは対応できない複雑なアイテムもありました。その代表例が「裏面ミラー付きコンパス(方位磁石)チャーム」です。
この商品は、ペニー・キング社が日本(Japan)に特注して作らせたものでした。ハードマン氏は、このコンパスチャームをアメリカ市場に初めて持ち込んだパイオニアとして強い誇りを持っています。
最後に、ハードマン氏はチャームビジネスの未来をこう締めくくっています。

「急速な成長ゆえの痛み(急拡大の課題)もありましたが、チャームビジネスは一過性の流行ではなく、完全に定着した素晴らしい産業です。今後は業界としてより安定した成熟期へ向かうでしょう。」

オノーちゃん視点でのワンポイント解説

 

●ガチャガチャのルーツ「1930〜40年代のアメリカ」: ガチャガチャの先祖は、カプセルはまだ無くガムやお菓子と一緒に小さなおもちゃが出てくる自販機でした。1936年のお菓子のおまけから始まり、1945年にガムボールマシンと融合した歴史の流れがよくわかります。

● 日本(Made in Japan)との深い関わり:
1. 1930年代後半: 日本から輸入された初期チャームは「安価でシンプルな数合わせ」として使われていた。戦中は日本からの輸入はストップ。
2. 1950年代: 技術が向上し、アメリカからの特注で「鏡付きコンパス」のような精巧な仕掛け付きチャームが日本で作られ輸出された。

このように、戦前から戦後にかけて日本の輸出玩具産業がアメリカのガチャガチャ(チャーム)文化の発展を裏で支えていたことを示す非常に貴重な歴史的証言です!

んじゃまた!!!

©日本ガチャガチャ協会

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