バンダイのガチャガチャ参入が業界に変革をもたらした
今回は、日本のガチャガチャ史において極めて重要なターニングポイントとなった1977年の「バンダイの玩具自販機(ガチャガチャ)部門進出」について、当時の業界誌記事を紐解きながら解説します。
ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。
1970年代の主な出来事・カルチャー史(時系列解説)
1970年代に何が起きていたのでしょうか?
●1970年:大阪万国博覧会が開催
・ 日本初の日本国際博覧会(EXPO'70)が大阪で開催され、高度経済成長期の象徴的なイベントとなりました。
●1970年:トミー トミカ発売
・トミー(現タカラトミー)から国産車を中心としたダイキャスト製ミニカー「トミカ」が発売され、現在まで続くロングセラーブランドが誕生しました。
●1973年:ドルが変動相場制へ移行
・固定相場制から変動相場制への移行により、為替レートが変動する仕組みになり、日本経済や輸出入市場にも大きな影響を与えました。
●1974年:オイルショック
・第一次オイルショックの影響を受け、物価高騰やトイレットペーパーの買い占めなど社会的な混迷が生じ、高度経済成長の転換点となりました。
● 1977年:スーパーカーブーム 絶頂期
・「サーキットの狼」などの影響を受け、ランボルギーニやフェラーリといったスーパーカーが大流行し、消しゴム(スーパーカー消しゴム)などの関連グッズも爆発的にヒットしました。
● 1977年:ロッテ 初代ビックリマンチョコ発売(30円)
・ロッテから「どっきりシール」が入った初代ビックリマンチョコが30円で発売され、後の「悪魔VS天使シール」ブームへと繋がるヒットの基盤が作られました。
●1979年:機動戦士ガンダム TVアニメ放映開始
●ガンダムシリーズの第1作目がテレビ放映を開始し、その後のガンプラブームやアニメ・キャラクタービジネスの発展に多大な影響を与えました。

1977年 トイジャーナルより抜粋
このような70年代背景もあり、ここに、1977年(昭和52年)の『トイジャーナル』に掲載された「★バンダイ☆エイコン記者発表会★ 玩具自販機部門に進出」という記事があります。
当時の記事には、次のような背景と目標が記されています。
ガチャガチャ業界に参入する背景は高級化する玩具への危機感と100円カプセルへの挑戦
当時の玩具市場は年々価格が高騰し、「親も大変だ」という状況がありました。そこでバンダイ(山科直治社長:当時)は、「子どもたちが手軽に買える安くて価値ある玩具を提供したい」と考え、100円カプセル玩具の開発と、自社生産の移動式低額自動販売機の導入を決意します。
「エイコン(ACORN=どんぐり)」と自販機「BVM-100」
エイコン(ACORN)とは翻訳すると「どんぐり」ですが、オーク社のガチャガチャマシンはエイコン(ACORN)と呼ばれていました。オーク社と提携してバンダイオリジナルマシンを作ったのでしょうか。気になるところです。

オーク社製ガチャガチャ展にて展示

バンダイ機カタログ
カプセル自販機: 1台に180個入り
商品ラインナップ: マスコットキャラクターの人気ヒーローを中心に、1か月半〜2か月の周期で5種類ずつ新商品を投入
自販機の価格: 原則として買い取り制(1台 13,000円)
事業目標: 初年度売上目標20億円、昭和56年(1981年)までに20万台の設置を目指す
また、バンダイは「エイコン(ACORN=英名でどんぐりの意味)」とともに代理店・特約店を募集し、自販機業務のノウハウ提供やカプセル玩具の補給、集金などの体制づくりを推進しました。
この出来事が持つ歴史的意味
1977年のバンダイの参入は、それまでの「駄菓子屋の店頭にある20円〜50円のガチャガチャ」から、「100円で質の高いキャラクター玩具が手に入る新しい自販機ビジネス」への大きな転換点となりました。
「100円」という価値の確立
それまでの低価格帯から「100円」にシフトしたことで、より精巧な玩具や人気のIP(キャラクター)を使った商品企画が可能になりました。
自販機と商品の自社プロデュース

バンダイ エイコン機
自社で自販機(BVM-100など)を開発・製造し、全国の代理店ネットワークを通じて展開するスキームを構築したことが、その後の「ガシャポン」ブランドの大躍進へとつながっていきます。
当時の『トイジャーナル』に記載された「20万台設置」という高い目標や、キャラクタービジネスとの融合は、まさに今のガチャガチャ市場の礎を築きました。
バンダイのガシャポンの歴史は、ガチャガチャビジネス構築の歴史です。
今後も「ガチャガチャラボ」では、貴重な資料とともに業界の歴史と未来を紐解いていきます!
んじゃまた!!!
©日本ガチャガチャ協会

