日本のガチャガチャ誕生とレス・ハードマン(L.O. Hardman)

日本のガチャガチャビジネスの市場規模が2000億円近くまでになりました。

今回は、ガチャガチャ展の歴史プロローグに書かせていただいた日本のガチャガチャビジネスの功労者であるレス・ハードマンさんのお話です。

ガチャガチャ・ガチャポンラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。

ガチャガチャ展

今や日本が世界に誇る一大カルチャーとなった「ガチャガチャ」。その歴史を語る上で絶対に外せない、まさに「日本のガチャガチャの生みの親のひとり」とも言えるアメリカ人実業家がいるのをご存知でしょうか?

彼の名前は、レス・ハードマン(L.O. Hardman)。
アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグにあった「ペニーキング社(Penny King Company)」のオーナーであり、米国のバルクベンディング(自動販売機)業界の重鎮だった人物です。

今回は、彼がいかにして日本のガチャガチャ誕生に貢献したのか、そのドラマチックなストーリーをご紹介します!

レス・ハードマン

 

ガチャガチャのすべては「日本製チャーム」との出会いから始まった

1930年代ガチャ

1930年代ガチャ

 

ハードマン氏が自販機ビジネスに参入したのは1933年のこと。自らトラックを1台所有し、お菓子や自販機の卸売りからスタートしました。

転機が訪れたのは1936年。ある雑貨店でお菓子を買った子どもたちに配られていた「小さなプラスチック製チャーム(おまけ)」を目にします。セルロイドで作られたキャラクターや動物のカラフルなチャームで実はこれ、日本製 だったのです!

当時、子どもたちの間では有名人のカード集めがブームでしたが、この立体的なチャームは大ヒット。ハードマン氏はいち早くこの可能性を見抜き、日本からチャームを輸入して自販機に混ぜて販売し始めました。これが彼の大成功の第一歩となります。

 

「ペニーキング社」の快進撃とカプセル「Sure-Lock」の開発

1956年9月11日 カプセル特許

ハードマン氏は「最高の品質とサービスを提供する」という強いこだわりを持つビジネスマンでした。1940〜50年代にかけてペニーキング社は急速に成長し、全米トップクラスの自販機メーカー・チャームメーカーへと上り詰めました。

そして、業界に大きな革命をもたらしたのが「カプセル」の登場です。

それまでの自販機は、お菓子と裸の玩具が混ざって入っていたため、機械が詰まるトラブルが頻発していました。そこでペニーキング社は、安全で清潔、かつ均一な形状の自販機用カプセルSure-Lock(シュア・ロック)を開発・特許取得します。

最初は、コストがかかる、と渋っていた業者たちも、機械の故障が激減したことでこぞって導入するようになりました。

 

香港進出と重田兄弟(ペニー商会)との運命の出会い

重田哲夫氏とLOハードマン

1950年代後半、ハードマン氏はさらなる品質向上と独自の玩具開発を求め、アジアへ目を向けます。香港に自社工場を設立し、自ら現地に渡って新しいおもちゃのデザインを手掛けました。

そして1950年代の渡航中、彼が出会ったのが、後にガチャガチャおじさんとして日本のガチャガチャ史に名を刻む重田哲夫氏・龍三氏の兄弟でした。

重田龍三さんが、ガチャガチャおじさん奮闘記を書いていなかったらレス・ハードマン氏の詳細を知るよしもなかったでしょう!

 

ハードマン氏はカプセルトイビジネスの素晴らしい可能性を熱弁し、香港の工場や営業所に重田兄弟を招きました。

ハードマンの香港工場

 

国境を越えた深い友情と信頼関係を結んだハードマン氏は、重田兄弟にこんな「ビジネスの鉄則」を授けたと言います。

【レス・ハードマンが重田兄弟に贈った3つの教え】

レス・ハードマンの教え

1. 母親に嫌がられたり、不快感を与えたりする商品を売ってはいけない。

2. ガチャガチャビジネスの本質は、小銭あつめである。

3. 急拡大を恐れよ。身の丈に合ったペースで成長しなさい。急ぎすぎるとコストがかさみ失敗する。

 

1965年、日本に「ガチャガチャ」が誕生!

1965年 ガチャガチャ

ハードマン氏の手厚い指導と協力のもと、1965年2月17日、重田兄弟はペニーキング社の日本部門として「株式会社ペニイ商会」を設立。同年にアメリカから自販機を輸入し、ついに日本初のガチャガチャビジネスがスタートしました!

こうして、今年で61年目を向かえた日本のガチャガチャの歴史が幕を開けたのです。

 

時代の波とレス・ハードマンの遺産

成田空港

1970年代に入り、価格競争の激化やハードマン氏の体調不良なども重なり、アメリカのペニーキング社は惜しまれつつもその歴史に幕を閉じました。

しかし、彼の情熱とスピリットは失われていません。
現在も日本のガチャガチャ業界を支え続けている「株式会社ペニイ」の社名には、かつてハードマン氏が率いた「ペニーキング」の名がしっかりと受け継がれています。

アメリカの情熱的な実業家レス・ハードマンと、日本の起業家・重田兄弟の出会いがあったからこそ、今日の私たちが楽しむガチャガチャ文化が存在する、そう思うと、ハンドルを回す手に少し感動が込み上げてきますね!

んじゃまた!!!

©日本ガチャガチャ協会

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