ガチャガチャのルーツを探る!1965年・ペニイ商会の物語

みなさん、こんにちは。ガチャガチャラボ所長!オノーちゃんです。
今日はワクワクするガチャガチャの“はじまり物語”を掘り下げていきます!

ガチャガチャラボ所長のオノーちゃん( @GachaOnoo )です。

1965年2月17日──ガチャガチャ、産声をあげる

ヘ゜ニイ商会看板

舞台は東京・台東区蔵前3丁目。間口2間、奥行き4間という、今でいえば小さな工房のようなスペースに「株式会社ペニイ商会」が誕生しました。
ここが、日本のガチャガチャ物語のスタート地点なんです。

 

1966年──駒形へ移転、そして規模拡大!

オーク社製「ビッグボーイ」ガチャガチャ展にて展示

たった1年で規模がぐんと大きくなり、駒形2丁目の第5プラチナビルへお引越し。社名も「株式会社ペニイ自動販売」に変更!社員も6名から30名へ。まさに急成長モード。当時のガチャガチャ(VM=自動販売機)は 10円玉仕様 が主流で、アメリカOAK社の「BIGBOY」が活躍していました。日本の子どもたちのワクワクが、ここからどんどん広がっていったんですね。

ルーツはアメリカのバルクベンダー

重田哲夫氏とLOハードマン

そもそも、なぜ日本にガチャが導入されたのか?きっかけはペニイの共同経営者(創業者のお兄さん!)重田哲夫さんが務めていたパンアメリカン貿易でアメリカへ雑貨を輸出していたこと。

輸入先の Hardfield Co. の Mr. L.O. Hardman に相談したところ、「アメリカではすでに30年以上の歴史があって、スーパーや遊園地に何十万台も置いてるよ〜」と教えられたのです。アメリカでは1セント(当時の日本円で3円60銭)が売上の50%を占める超定番。でもカプセルはなく、玩具とガムがバラバラで出てくるという、今思えばちょっとワイルドなスタイルでした。

 

不衛生? でも人気!

1インチのカプセルトイ
ガチャガチャ展にて展示

日本人の感覚からすると「ちょっと不衛生では?」と思われるような仕組み。でもアメリカではまったく問題なし!ただし、故障が多かったため、やがて 1インチ楕円カプセルに商品を入れて販売するのが主流になっていきます。

 

1970年代──カプセルの中身は香港製!

香港製ガチャガチャ商品
ガチャガチャ展にて展示

ハードマン香港工場

ハードマンのオフィス

香港工場

1970年代に入ると、カプセルに入る玩具の 99%は香港製 に。なぜかというと、例のLOHardman氏がアメリカでのオペレーションをやめて、なんと香港に「カプセル専門工場」をオープン!そこから世界中へ輸出が広がったんです。ガチャガチャのグローバル化が始まった瞬間です!

 

1965年から始まった日本のガチャガチャは、アメリカの文化をヒントに、日本ならではの改良を重ねながら広がっていきました。「小さなスペースから始まったペニイ商会が、やがて世界とつながる」そんなダイナミックな物語が、今の1400億円市場につながっているのです。

 

んじゃまた!!!

©日本ガチャガチャ協会

 

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